それは、
美容の分業化です
以前は、サロンワークの延長線上にスタジオワークがありましたが、エージェンシー(スタジオワークのみ)の存在が徐々に増え始めました。
その背景には、接客、クイックサービスと言った、ビジネス的なマニュアル(合理化)を導入するサロンが増えた為、ヘアースタイルに要求される高度な技術力を美容師が失った事が原因です。
そして、美容業界も他の企業と同様に資本力のあるサロンが買収を始めます。
1990年後半から、ジャンクロード・ビギン / フランク・プロボーは大きくフランチャイズを増やします。
2010年、ジャンクロード・ビギン360店舗、フランクプロボーに至っては2600店舗、ジャンルイ・ダヴィッド、他有名大手サロンも続々買収されています。
そして、マニアティスParisも2000年経営方針見直しのため、kenzo、他エリートが退社後勢いを失い、2010年フランクプロボーに買収されます。
それ以前に、オーストラリアからマニアティスParisに修行に来ていたジョンサハグ氏はアシスタントのままニューヨークに渡りNYドライカットで活動し成功します。
kenzo率いるエリート集団は、2000年“ カットテクニックの最終型 ” とまで言われたカットテクニック&エスプリを世に残すためにAgence21という会社を設立し、世界の美容師たちへの教育に力を入れ始めます。
この時、本物の門外不出だったカットテクニックが世にでる事になります。
しかし、そこには政治的な働きが立ちふさがります。表たっての活動を虐げられながらも少しづつ共感する美容師が集まり日本での活動もはじまります。
リアルクローズグループは、Agence21設立当初から四元兄弟を筆頭にParisに通いはじめます
また、PARISでのカットトレーニング参加時に、フミの中学生までの同級生CHIAKI氏と中学卒業以来はじめてPARISで再開という奇跡的なことも重なり、密に交流する事になります。(CHIAKI氏はAgence21講師)
リアルクローズのカットテクニックが、他サロンと違うのは、その様な歴史があってのことです。 これまでの美容の歴史を簡単にまとめてみました。
また、これから先まだまだ美容の歴史は続きます
新しいページをつくるのは、いつの時代も若い人達です。どんどんチャレンジしてほしいと思います。